嘆きの淵に流離(さすら)うる身は




 静寂よりは漠寂たる、という表現のほうが似合う薄い背中の向こうに、常に見え隠れする西郷という男の姿こそが我々――――――具体的にはこのひと――――――を苦悶させていることに、西郷は気づいているのだろうか。二人の仲は明治六年の時点で既に止まった筈なのに、このひとの視線の先から彼が外れることは決してない。西郷と袂を分かつこと、そうしていずれは絶ち切らねばならぬこと、それがなにを意味することなのかを我々は、並(な)べて解っているつもりだった…



 私が木戸先生を訪ねるのは、京都においても珍しいことではない。東京麹町富士見二丁目にある私邸には元々よくひとが訪れていたが、先生は帰国後重くなった不眠の身を押すようにして皆とよく会い、よく話した。彼が経験で培った流暢な言葉と事細かな応接を受けると、つい、彼と対照にいるひとを思ってしまう。いまや二人は復旧しようもないほど破壊的な関係に陥ってしまっていた。外遊中はともに出かけたり休日に囲碁をしたりと、彼と西郷ほどの仲の悪さまでは行かなかったのだが。
 先生は誰に言われるまでもなく、意見の人である。ただの意見家であれば大人しく太政官の重鎮を務められていただろうが、急進的かつ民意的意見家の意見が実際問題で齷齪している太政官に採用されるはずがなく、更に対立しているあの人によって国家という巨大物が揚々と動いていくことに、そしてそれが彼の理想と正反対であることに彼は悉く腹を立て、去年三月ともなるとついに参議の地位を棄てた。尤も、明治六年の段階で起居すら難しい身となっていた彼には最早それしか出来なかった。
 それが心労故なのかどうかは、正直よくわからない。
『毛嫌いしてるからなぁ木戸さんて』
 と、私は笑った。
『笑い事じゃないだろ』
 と大隈が言った。
『え〜、そぉ?』
 呟くなり私は耳に指を突っ込んで如何にも痒そうに動かした。
『あのなぁ』
 大隈の口調はこちらを呆れている。大隈にすれば、佐賀人の癖に長州頭目の先生に取り入りはしたものの、彼独特の細かさを上手くあしらえずに大久保公へ身を寄せただけあって、先生と大久保公の間の険悪さには触れさえしたくないのだろう。だけでなく大隈は所謂留守内閣を大久保公から直々に任されたが事実上彼らの御守に失敗したこともあり、現在の複雑な政局からは身を引きたい一心なのではないかと思う。ただし現況は誰一人として欠くことを許さないところまで逼迫しているわけで、だから我々は毎晩のように策を練り語り明かしているのだ。
 私はうーんと伸びをして両手を後ろにつき、足を前に投げ出しながら言った。
『禁門の変とかぁ、まーだ根にもってるんだよね〜逆に考えるとさ、あれがあったから今の太政官があるわけだし、そんな気にしなくていいのに。あのひと頭いいのに勿体無いって〜。おまけに美人だし。侍らしたいとか思わない?』
『そんなだから君まで嫌われるんだろ』
 厭味たっぷりに大隈は応えたが、私は天井を仰いで「何とかなるって」ハハハとその場は笑うだけにした。
 あれから数年。
 京の春は辛い。
 華やかで甘やかで、いっそのこと浮かれ果て、ことのすべてを忘れたくなるから。
「………」
 土手町の屋敷には今日も来客が後を絶たない。
「…木戸さんの具合、どぅ?」
 例えばこいつとか。
「伊藤ってば」
「うるさい」
「なんだよその言い方ぁ〜…っておい、ちょっと待てって」
 井上(馨)は廊下をタンタンと、心情的にはダンダンと踏みしめながら私の前に立ちはだかった。普段淡々と先生に迷惑をかけるだけあって、保護者というか庇護者がいなくなることにこの男なりに脅威を感じているのかもしれないが、そういう問題ではない。私はぎろりと井上を睨み据えた。
「なんだよさっきから」
「あのさぁマジで聞くけど、やばそう?」
 やばいなんてもんじゃないんだよ。
 言いかけて私は口を噤んだ。廊下向こうに大久保公の姿がみえたのだ。
「伊藤、あのさ」
「これは大久保さん」
「うぇっ…」
 私が若干声を張り上げて彼を呼ぶと、すぅ、と大久保公がこちらをみた。特徴ある冷気が廊下の隅まで一挙に届き、恐いもの知らずを公私共に認める井上の表情から血の気が引いて、井上はあっさりと踵を返した。
(僕帰る)
 ぼそと呟いて井上はその場を去った。背筋を丸めた後姿がなんとも情けない。井上は大久保公を毛嫌いしているし、嫌われているのを知っているから、この場は逃げるが勝ちだろう。そそくさと廊下を早歩きしていく井上を横目で見ながら、私は大久保公へと歩み寄った。
 大久保公は私に軽く会釈をした。細い首の、喉仏だけが妙に浮き出ている。
 会うたびにこけていくのはこのひとも先生も同じだと思った。




 失礼しますと言って部屋に入ると、起帳に寄りかかって漸く起き上がったであろう先生がこちらを見た。眼窩が窪んで頬骨が浮いて見え呼吸がいかにも苦しそうで、このひとはもう、長くない。
 大業を為すだけ為して、ここで消えてゆくのか…
 維新とは、長い間の長州の夢で、彼の夢だった。攘夷から開国に方針が変わっても、維新という言葉ひとつを掲げてこの人は駆け回ってきた。胸を張って京を闊歩した日々が突然追われる身となり、藩徒から逃げ屋呼ばわりされても、立ち上がることをやめなかった昔が、いまはまるで別人の人生のように思えてしまうのは何故なのか。
 ――――――それは自分が、もはやこのひとの側に立っていないからだ、
 と私は思った。
 そう。
 私は間接的とは言え、彼を捨てたのだ。正直、無理だと思った。彼の思想、彼の理想、それはあまりにも原理的という意味で克明に過ぎ、現在の日本の状況から大きく外れていた。正確には、彼の原理を貫けるほど日本は理路整然とした綺麗な国ではなかったのだ。それが分かって、私は彼のもとを去り―――――大久保公についた。個人的な恨みが募った結果ではなかった。
 それが先生の反感を買うのはある意味当然なわけで、否、それでも構わないと思った。あのひとについてゆけるなら。
 ―――――だがそれが本当に、ありとあらゆる意味で正しかったと言えるだけの自信は無い。暫く前までは確実にあったのだが、西南で起こった事変に対する大久保公の苦悩を身近に感じていた私としては、この戦だけは間違いではないかと思いたくなる。
 西郷、という、あまりにも巨(おお)きな存在を永遠に失ってしまえるだけの勇気を公が持ち合わせているのかどうかが、分からなかったのだ。
 ……西郷…?
 あれは一体なんなのだ。
 薩摩兵児からは神の如くに崇められ、旧薩摩藩からは疎まれ怨まれ、太政官からは締め出される、それでいて日本国内で知らぬ者は無い。そうして、彼を叩けば太政官設立以来の困難が終わるのだ。
 それほどの漢(おとこ)を失ってもなお、確りと前を見据えて立ち続けられるのだろうか。
 日本は、我々は、そして、あのひとは………
 湧き上がってきた思いを振り切るかのようにして、私は言った。
「お加減は如何でしょうか」
 先生は弱弱しく笑った。
「…最早生きているだけの身だ。魂(たま)はもう、鬼籍に向かっているだろう」
「そんな気弱なことを…」
 先生を諌めようと身を乗り出したと同時に、「伊藤」と声をかけられ、そして私は先生の口から思いがけないことを聞いたのだ。
「……大久保と薩摩藩が…長年対立しているとは本当なのか」
「!」
 意外な調子に私は思わず、はっきりと動揺をみてとれるぐらいに顔を上げてしまった。
 知られてはならなかったのに。
 知らせるなと言われてたのに。
 …先生の視線を感じる。私はそっと彼の目をみた。恐ろしいほど澄んでいた。
 唇が震えた。
「先生、それをいったい誰から…」
「…世外(=井上馨)から」
 先生に言われて、私は漸く、先ほどの井上のしつこさの理由が理解できた。そして何故あんなに露骨に大久保公から逃げたのかということも。
『ごめん、言っちゃった』
 笑う井上の顔が目に浮かぶ。
 あいつめ…
 眉を顰める私と対照的に、先生はどこか遠くでも眺めるような、呆けた表情をつくっていた。
「…本当なのか」
「……はい」
 会話の間中私は木戸先生のほうをずっとみていたが、彼の眼が一度かっと開いたのを見逃さなかった。
「………」
「松菊先生…?」
 このひとは知っているのか。
 なにを?
 ―――――西郷とあのひとの真の関係を? まさかな。
 ふと、そんな台詞が脳裏を過ぎった。
 ……私だって驚いたのだ。彼らの関係を知ったときには…
 自分は比較的長い間大久保公の近くにいたから、彼の人間関係やらは事細かに知っていたはずだった。だが薩摩藩時代のことは知らなかったし、知る必要もないと思っていたのだ。
 だがどうしても分からなくて、私は井上に問うてみた。
『なぁんでだろー?』
『あー?』
『大久保さんだよ。西郷に対する始末が甘いんだ、あのひとに割りに。なんでだと思う?』
『えー…決まってるじゃん……てか、そんなことも知らないであのひとの傍にいたわけ?僕としてはそっちのほうが不思議だけどなー』
『は?え?なんのこと?』
『出たよ伊藤のまだらボケ〜。言っとくけど、そんなの常識よ?!マジ知らないの君はぁ』
『知らないから教えてって言ってンじゃん。教えろよ』
 私は極めて真面目に言ったのだが、井上は例の、えへらへらという顔をやめようとはしなかった。
『じゃーさ、こっちから聞くけど、え〜と伊藤先生、稚児って言ったらなんでしょう?』
『…は?』
『だから稚児だよ。稚児趣味の稚ー児ー』
『ななななナニ言ってんだよ!全然違う世界のハナシじゃないかっ。いくら料亭で遊んでるからって、いまの僕は真面目なんだよ、これでも!』
『こっちも真面目なんだよ伊藤センセー。…稚児ってなぁに?』
『そりゃ……つまりそういうことだろう』
『そーそー、よく分かってるじゃん。十三歳の秋説が有名だね、我々の間では』
『十三歳の秋って……ちょっと早すぎない?!それともまだからかってンの?』
『からかってなんかないし、早くなんかないよ。陰間は早ければ早いほどいいんだ。慣れるのが早いから』
『か、陰間……』
『確かさ〜僕の知ってるところでは、薩摩藩では、十歳から十四歳までを長稚児(おせちご)って言って、元服した二才(にせ)から直接監督されるらしいよ。あれとかこれとか』
 言いながら井上は自分の頬の前でひらひら掌を返したり、拳を作った手から指を出したりしている。私はそれを呆然とみている。
『あれとかこれ…』
『薩摩藩は男女関係が厳しいところなんだってー。少なくとも、長州みたく、すれ違って「お久しぶりです」「まぁ御機嫌よう」なんてことは言ったりしないわけ。でも男は餓えまくり。でー、例の巨人とあのひとは同じ町内で、郷中も同じだった。郷中は知ってるよね』
 地域別に設置された少年教育制度のようなものだ。
『知ってるけどさ…』
『で、巨人が元服した時点であのひとはまだ長稚児だった。元服は成人の証ということで、めでたしめでたし』
『って、えー………』
 瞬間、私の脳裏に蘇ったのは、明治六年に西郷と別れたときの大久保公の顔だった。普段から酷く青褪めた肌から本当に血の気が引いて、怒りと屈辱と義憤を抑えようと懸命だった姿をよく覚えている。なにしろ偶然とは言え、その場に居合わせたのは私だったから。
 西郷の征韓論が伏せられた時点で、公にはすべての予想がついていたのかもしれない。すべての予想が予めついていたから、目の前で西郷から本当に「帰る」と言われて、あんなにも怒ったのかもしれない。裏切られること無く、すべての予想が当たってしまったのだから………
 私は思い切り息を吸い込んで、半ば叫んでいた。
『めでたくなんかないよ!!バカ馨!なんでもっと早く言わないんだ!』
『つっ。いっきなり怒鳴るなよな〜』
『だって、まずいよ、まずいじゃないか!』
『マズいんだよ。薩摩人はヤバいの。ヤバヤバ。僕、長州に生まれて良かった。僕みたいな可愛い男なんか、きっとすぐ食われちゃうよね〜。あ、伊藤はだいじょぶだと思うよ』
『俺のことなんてどうもでいいんだ。…やばい。やばすぎるよ、これじゃ…』
『はぁ?僕が大丈夫で伊藤が大丈夫なら全然平気じゃないか』
『そうじゃない。やばいのは木戸さんだ……』
『ああうんそれはね。僕も進言したことあるし。でもあのひと強いでしょ。言い寄られてもきっと、こってこてのけっちょんけっちょんに、』
『違う。そういう意味じゃないんだ』
 私が呟くと、井上は寝転がったまま、うん?とか、はぁ!とか、返事ともつかない返事をした。
 そして私は現実に戻る。先生の白くなった顔が古い間取りの部屋で妙に明るくみえた。
 珍しく先生の口がぽかんと開いている。日常、神経質なこのひとがこういう素振りをみせることは、無い。
「……知らなかった……儂は、てっきり…」
 薩長の、互いに頭目を務めながらも、その実、先生と大久保公とでは、状況はまるで異なっていたのだ。先生は長州藩士だけでなく藩侯からも厚い信頼を受けていたが、大久保公は薩摩藩に於いて殆ど孤立していたのである。それでいて、互いの言動が、そのまま両藩を動かした。だからきっと先生は、錯覚していたのだと思う。大久保公が出身藩の薩摩だけを諸藩統制の的から外しているのだと。だから先生は大久保公を遠ざけようとした。皮肉なことに、それが結果として太政官を先生から大久保公へ引き渡すことになったのだが、よく考えてみれば、床の上でした身動きの取れない先生が国を率いることは不可能だったから、やはりあれはあれで正しかったのだと思う。
 それでも拭いきれない違和感を―――――拭いきる前に先生が旅立ってしまうようで。
 もしかしたら井上はそれが不憫で、私が大久保公から口止めされていたことを先生に打ち明けたのかもしれなかった。現世を去るにあたっての、せめてもの、手向けに………
 だが井上という男は常にやり過ぎで言い過ぎの感があるから、次の先生の言葉に私は「やっぱり」と心の中で項垂れるしかなかった。
「…それに、あのふたりはつまりその……そういう、関係なのだろう…?ただの幼馴染ではなく……」
「……井上が、そう言いましたか?」
「ああ…儂も、なんとなく勘付いてはいたのだが…」
 そこまで来て、先生はがくりと頭を俯けた。気を失ったのではないかと慌てた私はおどおどと介抱しようとしたが、伸びてきた先生の腕に胸を押しやられ、阻まれた。
「先生…」
「平気だ、」
 先生は私の手を拒んだが、私は先生に、まだ私を押し返せるだけの力が残っていたことに感激を覚えたのだ。私が探したドイツ人医師の話では、先生の回復は百パーセント無理ということだったから。
『御回復ハモハヤ難シク』
 予想していた言葉が宣告されるのは、大層辛いことなのだということを、この状態になって漸く見知ったものだったから。
 失いということに、慣れているわけじゃない。長州は京都時代目の仇にされていたから、多くの同志を失った。そして生き残ったこのひとは病弱で、渡欧していた頃も、たびたび休養していたのだ。だが訪ねる人があれば病身を負うて応じ、夜半遅くまで歓談を凝らしたりして……その姿にもうひとりの巨頭が重なったりして……大久保公と並んで先に立ってくれるのなら、これほど新生日本にとって喜ばしいことはないだろうとそんな希望がみえるようで。
 しかしそんな感動も、先生の青褪めた顔の前で一瞬のうちに冷めてしまうのだ。
「…では儂は『あれ』に、己の男を殺せと云ったことになる…」
「!しかし、」
「みるなっ」
 先生が上げた首を大きく横に振って、黒髪が扇のように繊細に広がった。
「………先生…」
 ああ、と私は思った。
 このひとは知っているのだ。
 同士を失うことと、彼らを失ってからの我が身の儚さと、
 所詮ひとりではなにも出来ないことを。
 ひとりではなにも出来ないからこそ、幕末の間、このひとは説きに説きまくったのだ。
「…儂は…」
 彼は語りだした。折り重なるように響いてくる物悲しい雨の音。もうすぐ水無月なのだ。
 果たしてこのひとに、湿度厳しい京の梅雨を越すことができるのだろうか……
「儂は薩摩を……恨んでいる。長い間恨んできた。西郷はもとより、大久保さえ私は信用できなかった。だが何故最後まで…ッ…最後まであれは腹を割って話そうとはしないのだ!…」


 あ……


 言葉を尽くし、
 礼を重ね諸藩の間を往来して漸く勝ち取った信頼で、動乱の京都からいままで、新旧問わず親交を深めて過ごして来たこのひとと、
 言葉少なの会話と 肉の交わりだけで、相手のすべてを汲み取って、
 想いという止めどようもない熱情を心中にひた隠しにしてきた大久保卿との違いが、私にもみえた気がした。そしてそれこそがふたりの武器であり、埋めようはずも無いままに広がったふたりの溝でもあったのだ。言葉を用いることなく相手を理解できる大久保公は先生の意見も理想も分かっていたのだろうが、長い間言葉でこの動乱を渡りきろうとしていた先生には、大久保公の本音は分からなかったのだ。
「…なんてことを………儂は…」
「先生…」
「…いや、もう…遅い……軍を止めることは出来ない………ただ…」
「…ただ?」
「ただ……“あれ”の本音に最後まで気づけなかったことが……悔しい………」
 先生は顔を背けて外をみた。泣いているのかもしれない。
 聞こえるか聞こえないかの声で、先生は続けた。弥九郎道場の四方まで響き渡ったはずの喉が、いまはこんなにまで衰えてしまったのだ。
 維新がこのひとから奪ったもの―――――生命力。あのひとも、西郷からも奪い続けて、この先、維新はどんな成長を遂げるのだろう。
「“あれ”にとって…西郷を殺すということは、そのまま死ねというようなものだ…………それを具体的に指示した儂が一番先に死ぬるのは、当然のことで……それだけが、儂に出来る償いというか…太政官への務めとでもいうか……本当に、大久保には酷(むご)いことをした………だからもういい、儂はこれで…いいんだ……」
 以降、先生は黙った。
 虚しげに睫毛を伏せて、降り出した雨の音に自らを溶け込ませるでもするかのように、潰え、沈んだ。
 しばらくして、大久保公が部屋にやってきた。公の姿をみた途端、先生の顔からは表情という表情のすべてが消えたように私には思えた。
 軽く頭を下げて、私は部屋を出た。
 ふたりの間に何があったのか、知りたいのか知りたくないのかということすらも、知りたくなかった。
 閉め切った襖を背にして、この先なにがあろうとも私は維新を続けなければならないのだと、それだけを誓った。




 ある日、私は暇をみつけて京都を訪ねた。
 雨が降っている。濡れそぼった墓石が、あの日血に染まった亡き大久保卿の姿と重なって、思わず目を瞑った。当時の忙しなかった毎日がまざまざと蘇って、いまはすべてが懐かしかったが、過去に舞い戻ろうとする己を戒めるために首を横に振り、すぐさま現実に戻らなければならない立場へ帰った。
 私は満州へ立つ。韓国併合のためだ。三十八年に交された日英同盟協約と日露講和条約で保証された韓国における日本国の権利を実行に移し、維新三傑を苦しませた征韓論の終焉をこの手で為し遂げるのだ。
 この年になって漸く、私は政治の恐ろしさと困難さを知った。度重なる内閣の混乱と崩壊、戦争と平穏。目まぐるしく変わる世界のなかで、艱難の折には必ずあの三人の顔が浮かんでは消えを繰返した。あのひとたちがここにいればどうやっていただろう―――――…呟きは、誰にも届かなかったのだ。或いは私が無意識のうちに、心中を明かすことなく逝った彼らに自らの姿を掛けていたのかもしれない。
 雨が降る。
 かつて彼らと奔走した都に。
 ひとりはここで潰え、ひとりは故郷で飛び、ひとりは大都に果てた。誰一人として、安穏な人生を送れなかった。最後まで苦しんで、孤独で…あの三人を見て育ち、今後も彼らの生き様を背負って生きる私として出来ることは、維新を完遂することである。
 だから私は往くのだ。
「ではまた参ります」
 言って私はその場を後にした。



 異国の地に、銃声が響いた。



 雨が降る
 京の街を染めた毒々しいまでの血の色が薄れ薄れて、やがて涙の彩(いろ)になる
 それが喜びなのか悲しみなのか
 いまは知るものとて無い
 嘆きの淵に流離うる身は



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**************ひとこと**************
木戸さんの病名はなんだったのでしょう?
脳腫瘍とか、あったかな。左半身が麻痺してたので。
こう考えると、脳に異常がなかったのは
三傑では大久保卿だけだったりします。
主人公は伊藤ちんでした。通称ひろりん(By委員長様)
それにしても長州連中だけあって、台詞が長い。